明石 昌夫氏

  1. ヒットメーカーとしての先駆者であり、日本を代表する音楽プロデューサー
  2. 数え切れないほどの名だたるヒット曲を生み出してきた圧倒的実績
  3. アレンジャーやベーシストとしてもメジャー作品に多数参加

<プロフィール>
音楽好きの一家に生まれ、4歳からヴァイオリンを習い始める。
1988年にデモテープがビーイングに評価され、ビーイングと契約。初編曲作品はB’zの『だからその手を離して』。その後、ビーイングアーティストを中心に多くのアーティストの編曲を担当。B’zの作品にも当初のサウンドアドバイザー含め数多く関わる。

ベーシストとしても評価され、1997年までB’zのベース&マニピュレートでサポートメンバーとしても活躍。MANISH、BAAD、T-BOLANのサウンドプロデュースや自身のバンド’AKASHI MASAO GROUPの活動も開始。

1998年よりフリーサウンドプロデューサーとして活動を開始。SIAM SHADE、Janne Da Arc、小坂りゆなどの楽曲制作に携わる。

1999年にはTBS系列のクイズ番組『オールスター感謝祭』での「番組放送中に番組主題歌CDを作る」という企画で、Riskyこと島崎和歌子が歌った「My life is…」(作詞:秋元康、作曲:織田哲郎)の編曲を担当。制作にかかった時間4時間28分はギネスブックにも掲載される。

中森明菜の「とまどい」と「Good-bye My Tears」の編曲者「Max Brightstone」は明石昌夫の変名クレジット。

洗足学園音楽大学で教授を務める。2008年には同大学の准教授の前野知常、同大学の講師の小柳昌法、FENCE OF DEFENSEの北島健二と共に田村直美のサポートを務める。

<関わったアーティスト例>
B’z、ZARD、大黒摩季、華原朋美、西城秀樹、SIAM SHADE、Janne Da Arc、島谷ひとみ、TUBE、WANDS、V6、MANISHなど40組以上のメジャーアーティストの楽曲を手がけ、ヒットソング多数。

明石プロデューサーから“あなた”へのダイレクトメッセージ

YOUTUBE

YOUTUBEチャンネル『Akashi Masao Official』
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